鎌倉の中でもほとんど知られていない切通しが明月院のそばにあるのをご存知でしょうか。
明月院から六国見山に向かう稜線沿いの道。風情もあり歩きやすい道で、六国見山への最短ルートでもあります。入口が分かりにくいためか情報がほとんどないのが実に惜しい。せっかくなので現地のルートガイドを作成してみました。
六国見山のハイキングコースとしても使える
通常のハイキングルートだと大回りするように今泉台の住宅街を歩くことになりますが、このルートだと山道のみでほぼ直線でたどり着けます。途中に案内板などは一切ありません。鎌倉ではよくあることで、実際には地元の方が整備してくださっているため道ははっきりしています。
明月院から今泉に向かう途中にある石碑群がその入口
石碑の前の岩棚をご覧ください。不自然に広く、傾斜しているのがわかるでしょうか。実は石碑の真裏に回り込むように道が続いています。夏場は草むらで道があるとは気づけないくらいですが、切通し道に入ったとたん、きれいな道が広がります。
なぜこんなところに石碑群があるのかと不思議に思っていたのですが、まさか坂の入り口だったためとは思いもよりませんでした。横浜・鎌倉では、坂の下に神社や石碑があるケースが多く見受けられますので、こちらもその一類でしょう。
石碑は岩肌を岩窟状に加工したところに置いてあるので、古くから安置していたものと推測します。急カーブすぎる道ですし、道幅も終始1m程度しかありませんので、純粋な徒歩道と思われます。
なお、石碑のあるとなりの谷戸は、いまはなにも残っていませんが、現在でも明月院の敷地です。
古道らしい切通しと掘割の続く道
稜線に上がるまでは切通し状のヘアピンカーブの連続。登るにつれてV字の掘割道になり、最後はハイキングコースのような稜線道路になります。
自然の地山を掘り残した縁石
急斜面では崖側に落ちないように縁石上に岩を残してあったりと、なかなか至れり尽くせりな道です。周囲は石切りの跡があちらこちらにあり、坂の途中にも平場が見受けられます。
深い切通し
標高が上がるにつれ浅くなっていく切通し。場所によっては崖側が切れ落ちているところもありますが、笹やぶで一見危険には見えないので注意して歩きます。
切通し状のヘアピンカーブ
途中には分岐路がありますが、行先はたぶん円覚寺。園内は有料ですし未公開エリアにつながっている可能性が高いのでここを降りるのは遠慮しましょう。
V字の掘割道
途中、住宅地の脇を通り抜け、隣の谷に降りる道と交差しつつ、最後には六国見山の山頂にたどり着けます。逆に六国見山から下りる場合は、宝篋印塔のある稜線をひたすら下ることになります。
この道の目的は?
「新編相模国風土記稿」などを調べても分からなかったので推測になりますが、元は鎌倉時代の六国見山へ至る軍道だったのではないでしょうか。
北鎌倉周辺には明月院、高野、長窪の3本の切通しがありますが、いずれも六国見山へ向かっています。
特に、明月院の道は、明月院から最短ルートで六国見山に向かう道であり、当時栄えていた山の反対側にある今泉の集落に向うために山頂経由という標高も距離も長くなる里道を作るのは考えにくいと思われます。
いつまで使われていた道なのか、古地図で歴史をさかのぼってみる
明治13~19年にかけて陸軍が作成したフランス式迅速測図(2万分の1)では、現在車道がある明月院坂とともに徒歩道として書かれています。
切通し道の方が実線なのに対して、明月院坂が点線なので、当時は切通し道の方が主力であったことがわかります。
これが明治46年ごろになると、明月院坂は二重点線になり今泉方面への直登ルートが延びる一方で、切通し道は消されています。
2016年現在の国土地理院の地図では、道の記載はありません。
六国見山から切通しを渡り歩いて大船まで
六国見山まで来たなら、長窪、高野と切通しを通し出歩いてみることをおすすめします。いずれも道が分かりにくいですが、当サイトでもご紹介しています。
明月院切通しの地図
明月院スタート、六国見山終点のルートマップです。地図をクリックすると、周辺を含めた地図が表示されます。
参考情報 明治迅速図WEB閲覧サービス
明治初期の貴重な地図が現在の地図と比較しながら見ることができます。明治時代は鉄道敷設前後で大きく道が変わりますが、江戸の名残の色深い鉄道前の様子をうかがうことができます。
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